砂田栄光さんが、2024 年 2 月 17 日(土)の日本職業教育学会第 75 回 関東地区部会で
『戦後職業訓練関係資料集』の紹介-基盤整備センター調査研究資料 No.140より-
との報告をされました。
そのレジュメがエルゴナジー研究会のホームページにアップされています。
「今回の約 800 頁に及ぶ資料集を分析するにあたっては、データ処理ソフトを活用して、クラスター分析や共起ネットワークにより、図示化して概要をとらえ、戦後の職業訓練関係資料のイメージを掴みたいと考えた。」
とされています。
なお、砂田さんは同資料集の事務局を担当されました。

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産業教育研究の大御所三好信浩先生が、
『教育観の転換-よき仕事人を育てる-』、‎ 風間書房 (2023/8)においていくつかの拙著を紹介し、評価して下さっています。ありがとうございました。

目次は次の通りです。

本論 教育の真義
序 章 教育とは何か
1 「教育」という言葉
2 よき仕事人を育てる
第一章 江戸期仕事人の自修自営
1 「一人前」という願望
2 農業の仕事人
3 工業の仕事人
4 商業の仕事人
第二章 近代学校の仕事人教育
1 「学校王国」日本の誕生
2 医療人の学校
3 産業人の学校
4 教職人の学校
5 その他の仕事人の学校
第三章 仕事人の職業訓練
1 戦前・戦後の文教施策
2 戦前期の学校内実習
3 学校に準ずる職業系学校
4 企業内職業訓練
5 公共職業訓練
第四章 現代社会の仕事人育成
1 学校教育の現状と課題
2 職業訓練の現状と課題
3 産学官連携の現状と課題
4 キャリア教育の現状と課題
5 定年と無職の問題
結 章 仕事とは何か
1 人生と仕事
2 仕事と教育
補論 成功的仕事人の仕事力
1 農書執筆の仕事人 大蔵永常
2 発明創作の仕事人 田中久重
3 独学創世の仕事人 渋沢栄一
4 学校創設の仕事人 H・ダイアー
5 学校経営の仕事人 手島精一
6 国際交流の仕事人 保良せき
7 地域創生の仕事人 大原孫三郎
8 農業系学卒の仕事人 横井時敬
9 工業系学卒の仕事人 土光敏夫
10 商業系学卒の仕事人 出光佐三
11 補論の補遺-10人の仕事人の共通点

極めて職業訓練を重視しておられることが分かります。
職業教育、職業訓練の研究者には(拙著の紹介は別としても)必読文献だと思います。

少し長い部分もありますが、拙著に関する部分をそのまま転載します。

4p.
 教育という言葉に疑問を感じた識者は少なくない。最も衝撃を覚えたのは、労働行政の中から出た田中萬年の歯に衣を着せぬ大胆な発言である。氏の多数の著書の中でも、二〇〇七年に刊行した『「教育」という過ち』(批評社)は、明治の初年に"education”の原義を理解せずに教育という訳語をあてだことが過ちの発端であると言う。氏は、職業能力開発総合大学校の名誉教授で、日本産業教育学会の会長をつとめた斯界の権威である。本書では折々氏の所説を引用することになる。
 教育学の内部からも教育に批判的な人物が出た。教育学研究者の集まる日本最大の日本教育学会の会長をつとめた二人の人物が注目される。一人は、民間教育運動から入り東京大学教授となった大田堯であって、『大田堯自選集成』(全五巻、藤原書店)の第一巻に『教育とは何かを問いつづけて』と題する一冊を含み入れている。もう一人は、デューイ研究から入り東京大学教授となった佐藤学であって、教育の理想像は、戦後民主主義の平等の原則にあったが、その後の産業主義や官僚主義によって空洞化され、学校教育はその方向性を喪失していると説く。ただし、戦後の教育改革をめぐっては上記田中氏と見解を異にする。
 田中氏によれば、戦後にも本当の教育は実現しなかった。その最大の理由は、「日本国憲法」の定める教育の「権利」をめぐる概念の誤解に起因していると言う。「世界人権宣言」では、「教育への権利(Everyone has the right to education)」となっていたのを、日本では「教育を受ける権利」とした。教育を受ける、となれば、教育を与える別の主体(国家や教師など)が存在していて、その結果として国民の自発的学習や個性の発揮が軽視されることになる、というのが氏の主張である。教育を受ける権利論は、戦後日本の教育論の中核概念となった。

8p.
 しかし、現実にはこの法律の精神は生かされず、教育を受ける権利論の当然の帰決として、できるだけ長期の、できるだけ平等の教育が理想とされ、普通教育や教養教育への志向が高まった。この点については、田中氏の主張は核心をついている。氏によれば、受ける教育では、個性が無視され、横並びの人間観が形成されて、「職業・労働を忌避する教育観が醸成される」からである(『奇妙な日本語「教育を受ける権利」誕生。信奉と問題』ブイツーソリューション、二〇二〇年)。

83-85p.
 ここで筆者が注目したいのは、公共職業訓練は、文部省の大学とはちがった独自な教育論に支えられている。機構の管理する職業能力開発大学校と短期大学校を総称してポリテク・カレッジと呼んでいるようであるが、そのカレッジからは『仕事を学ぶ』というテキストが発行されている。編者は、この世界のオピニオンリーダーで、職業能力開発総合大学校名誉教授の田中萬年氏であって、二〇〇四(平成一六)年に発刊している。本書の冒頭に、田中氏の教育論に注目したいと記したので、以下にこのテキストの中の名言を引用してみたい。筆者のような教育学を専攻すると自称する者には適否に疑問はあっても、むしろ驚きの言辞が多い。
「教養という言葉の意味する内容は、その昔、働かなくてもよい貴族や武士などが学ぶものとされてきたものを、明治期に整理して造られた言葉なのです。すなわち、働く人を想定した学習ではなかったのです」(はじめに)。
「(学力とは)“記憶”の優劣を競っているに過ぎません。創意工夫や器用さや、経験といった。“日常の生活や家業を処理する才覚”は“学力”には現れないのです。つまり、生きる知恵は測れないのです」(四二頁)。
「わが国の若者は高学年になるに従い、職業観が希薄になる傾向が強いようです。つまり学校教育によって若 者は職業観を持てなくなっているのです。将来の職業観が育たない学校教育の目的とは何かが問われています」(五四頁。
「何よりも人として生きることは、人として自立した生活が出来てこそ認められます。自立するためには。責任の取れる仕事に就いていなければやはり認められないことになります」(七三頁)。
「人と動物との差異は、人が仕事をすることでした。つまり、働くことです。単に働くことではなく。人として働くことです。その仕事の意味は社会とつながることです。社会的に有用な仕事を。“職業”といいます」(七六頁)。
「ドイツは徒弟制度を軽視せず近代的な学校制度の中に徒弟制度(見習訓練制度)を組み込んだ教育制度を構築しました。これが今日まで続いている有名な“デュアルシステム”のことです」(八七頁)。
「中国の職業資格への取り組みはすさまじいものがあります。職業資格取得のための受験生は日本の比ではありません」(九六頁)。
「“職業訓練”を“学校教育”よりも優位に置く教育訓練観が今日の欧米の教育政策の動向となっています」(一〇〇頁)。
「学校で学ぶことは、仕事のための指導を理解するための基礎です。つまり、学校教育は職業訓練のためにあるのです」(一〇二頁)。
「日本の近代化が欧米に遅れて始まったにもかかわらず、二〇〇年も待たずに欧米に追いつき追い越した土壌には、中世までの技術・技能が高く、その伝承がきちんと行われていたからに他なりません。日本の明日の産業について考えるとき、このことをしっかりと頭に入れて自信をもって先人の技術・技能を身につけ、発展・向上させていくことが大切なのです」(一七八頁)。

 これだけの新しい論理に基づいて推進されている公共職業訓練ではあるが、その現実は期待されたほどの成果につなかっていないことが惜しまれる。一つには、教育内容が工業分野以外に広かっていないことであり、また一つには文部省の大学に比べて特段の魅力を発揮していないことである。日本社会には、とにかく大学だけは出ておきたいという伝統的・固定的な意識が根強いため、入学定員の少ない無名の職業訓練系の大学校より文部省系の大学という、安定志向が働くのではないかと思われる。その原因についてはもっと掘り下げた検討が必要である。

97p.
 その二は、田中萬年の指摘であって、氏も寺田と同じようにキャリア教育は職業教育から遠ざかる危険性を指摘したうえで、生涯学習論は学習者の自己責任論に転嫁される可能性があると言う。教育は国家が責任をもって保障すべき重要な政策活動であって、そこでは自己責任の思想はなじまないからである。

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成田喜一郎さんが『物語 「教育」誤訳のままで大丈夫!?―Educationのリハビリ、あなたと試みる!― 』(KS21みらい新書) 新書 – 2023/6で
次のように拙論をご紹介下さっています(25-27p.)。ありがとうございました。

 

 さらに、田中満年さんの「Educationの訳語としての『教育』と『教育を受ける権利』を克服すべきではないか」「『教育』は『学習支援』という言葉に変えるべきではないか」という問いかけに出会いました。

・「教育」への信奉は「教育を受ける権利」が民主的だとする信用に連なる。今日の教育政策を批判 する者も、「教育を受ける権利」を批判する者はいない。つまり、「教育を受ける権利」という同床の教育への異夢論であり、ここにわが国の教育論が百家争鳴を呈している根源がある。
・「教育」、そして「教育を受ける権利」を克服してこそ初めて近代化精神を乗り越える人間育成策が始まると言える。このような教育改革に関する「日本国憲法」の改正点として、第一に、「教育を受ける権利」は「学習する権利」として再編すべきこと、第二に、法令では「教育」の文字を「学習支援」の言葉で再編すべきこと、第三に、「勤労」を「労働」として労働権の条文を学習権の条文の前に規定すべきである、と考えている。(二〇一七年)

 田中さんの言葉は、その著書『「教育」という過ち-生きるため・働くための「学習する権利」ヘ-』批評社(2017)の中にあります。明治国家の形成過程において、"education"は「教育」とされましたが、そもそも欧米では、「right to education(「教育」への権利)」という意味で捉えられていました。
 しかし、明治国家が国民を「教育」するという文脈で、旧訳のまま「教育勅語」を経て、戦後日本国憲法(一九四六年公布/一九四七年施行)、教育基本法(一九四七年公布・施行/二〇〇六年改正公布・施行)に至ります。しかし、旧訳のまま「教育」は戦後民主化を潜り抜け、現在に至っているといわれています。日本国憲法第二六条「教育を受ける権利」の英訳は、「the right to receive an equal education(等しく「教育」を受ける権利)となっています。そして、日本国憲法の改正か反対かの議論を超えて、「教育を受ける権利」を「学習する権利」に、「教育」は「学習支援」に変えるべきだと述べています。

 

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砂田栄光さんが、2020 年 12 月2日に、職業能力開発総合大学校における 職業能力開発研究会にて報告した拙論
「職業訓練忌避観の創生と定着-職業訓練批判と「教育を受ける権利」主張の重複化による-」の報告を分析して
2022年8 月 20 日(土)にオンラインで第69回日本職業教育学会 関東地区部会(エルゴナジー研究会)で
「職業訓練忌避観」からの脱出 -成瀬政男「小論集」からの一考察-を発表しました。
エルゴナジー研究会のHP
https://jsstvet.org/archive/kanto/meeting/20220820/69all.pdf でご欄頂けます。
ある教育学者から、田中は教育を批判しているのに教育ばかり使っている、との批評を受けましたが、砂田さんの分析を見るとその批判が見事に当たっていました(^0^)。

なお、砂田さんが職業訓練忌避観脱出の手かがりにした成瀬政男は、職業訓練大学校(現総合大学校)の初代校長で、
スイスは何故機械工業が発達したのか、と疑問を持ち、ペスタロッチーの業績にたどり着き、小学校の教科書等にも

技能論が掲載された機械工学(歯車)の世界的研究者でした。
私も「成瀬政男の技能・職業訓練論による教育界への啓蒙活動」https://geolog.mydns.jp/www.geocities.co.jp/t11943nen/ronbun/NARUSEron.pdf
を書いていますので、ご参照下さい。

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柳田雅明さんが『日本生涯教育学会年報』第41号(2020)にマイケル・F・D・ヤングの論と拙論を対比させて、
誰にでも権利として保障される生涯教育 そして生涯学習とは,何になるのか-職業に関する内容に焦点を当てて-」
を投稿されています。
恥ずかしながらヤングの研究を知りませんでしたが、職業を意図した教育論を主張している研究者のようです。
柳田さんは、拙論について拙著への書評等は

批判はみな,「人であるならば誰にでも権利として受益が保障される学び」問題提起に関して,不適切もしくは無意味であるとしてはいない。それら批判はあくまでも方法論に関するものである。
として

国連「持続可能な開発目標(SDGS)」とともにヤングと田中とが提起し展開してきた論を彼らが受けてきた批判を踏まえて吟味の上,「生涯学習研究の挑戦-これからの可能性」を広げていくのは意義があると考える
としています。ご覧下さい。

 

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2020年7月5日
三好信浩先生から『産業教育学: 産業界と教育界の架け橋』をご惠送戴きました。
三好先生は風間書房から「産業教育史学研究」として全13冊を出されている産業教育の大御所です。
米寿を迎え「長年の研究の結果として産業界と教育界との協力の革新に必要な新しい学問領域である「産業教育学」を確立するため、とされています。
三好信浩先生は拙論著に対して次のようにご高評して下さっています。
①「職能形成論……などの用語…を提言している。」
②徒弟制の考察に関する「提言には傾聴すべきものが多い。」
③educationを教育とした誤訳、「教育を受ける権利」は学習権にという考え方は「大筋において支持する。」
④「田中万年の学校批判は傾聴に値する」

 

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斉 藤 健 次 郎 先 生 が 、 拙 論 の 「1950 年 代 に お け る 労 働 と 教 育 を め ぐる 課 題~ 宮 原 誠 一 生 産 教 育 論 変 転 の 今 日 へ の 示 唆 ~ 」 (日本社会教育学会年報『日本の社会教育』第57集、2013年9月)を ご 笑 覧 く ださ り 、 宮 原 が 記 し た と し て い る 『 教 育 学 事 典 』 の 「 生 産 教 育 」 に つい て 、 そ の 経 過 を 詳 し く ご 紹 介 く だ さ い ま し た 。 そ し て 、 宮 原 の 生産 教 育 論 が 変 転 し た 背 景 に つ い て 、 当 時 の 技 術 教 育 ・ 職 業 教 育 の 状況 が 反 映 し た の で は な い か と の 示 唆 を 述 べ て お ら れ ま す 。
斉 藤 先 生 の 「 生 産 教 育 論 」 の 秘 話 は 私 だ け の 知 識 に し て お く の は貴 重 す ぎ ま す の で 、 斉 藤 先 生 の お 許 し を 得 て 公 開 で き る こ と に な りま し た 。 ご 参 考 に し て 頂 け れ ば 幸 い で す 。
な お 、 斉 藤 先 生 の 「 出 版 者 」 に つ い て も う 一 点 補 足 し ま す と 、 宮原 が 事 務 局 長 を 務 め た 日 本 生 産 教 育 協 会 の 理 事 長 は 下 中 弥 三 郎 で あり 、『 教 育 学 事 典 』 の 出 版 社 で あ る 平 凡 社 社 長 で し た 。
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宮原誠一「生産教育論」について(田中仮題)

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全く存じ上げなかったのですが、吉田昌弘さんが『教育と学校をめぐる三大誤解』への書評を記して下さってます。
書評というよりも8ページに及ぶ論評になっています。
拙著の問題もご指摘して下さっています。


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「『米欧回覧実記』教育関連項目集成-岩倉使節団の教育施設訪問の検討-」が村瀬勉先生の主著で『職業能力開発総合大学校紀要』第37号Bに掲載されました(2008年3月)。
論文は9ページ2.57MB、資料は11ページ2.90MBです。
本論を基として用語『普通教育』の生成と問題-『職業訓練』忌避観醸成の背景-」を執筆し『職業能力開発総合大学校紀要第39号B』に掲載されました。

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里見実先生が「社会とのつながりのなかで学ぶ、ということ」を『技術 と人間』誌 (2002年 7月 )に発表されました。副題は-田中萬年著「生きること・働くこと・学ぶこと」を読んでとありますように、拙著を題材にした論評といえます。
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沢 和寿「工場法の制定過程に関する研究-教育条項を中心に-」、『技能と技術』3/1977。
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本稿は私が近年の思索をする原点になっています。
なお、沢さんの論文は、木村力雄(当時調査研究部研究員・兼助教授)先生指導の卒業論文の要約です。